社会への、やんわりとした報復

社会に居場所がない若者が書きなぐる、香ばしいう〇こ醸成所

「今を楽しく生きる」とは?

こんにちは。

社会に居場所がない若者、こと血みどろハリネズミです。

 

僕は人生に迷う子羊らしく、自己啓発本など読むのですが、その中で頻繁に繰り返される魔法の言葉、「人生は一度きり、だから今を楽しく生きよう」に今更ながら疑問を持ちました。

この言葉は一見前向きで、勇気づけられそうですが、額面通りに受け止めると痛い目に合う詐欺言葉です。

なぜこの言葉は額面通りに受け取ってはいけないのか、詐欺言葉にも関わらずそれに惑わされる人が多いのはどうしてなのか、僕なりの考えを書きなぐっていきます。

 

 1.「今」を一番にして問題を後回しにしてるだけ。

 結局この言葉の響きの良さは、人間が臭い物に蓋をして問題をあと回しにすることを好むことから来てるのではないでしょうか。

世の中には夥しい数の問題があります。しかしそれらに真っ向から対峙し、思考と試行を繰り返し、解決まで辿りつける人は稀です。多くの一般人は問題を後回しにしたり、他のことを考えたりして現実逃避することを望みます。そういう人の立場から見ると、「今を楽しく生きる」というメッセージは「今以外はどうでもいい、問題も後回しにすればいい」と都合良く解釈され、それが自分を肯定する良い言葉だという風に見えるでしょう。自己啓発本の読者層は、現実で問題を抱えていながら解決できない、頭の悪い人間が多数ですので、このメッセージが本の中で何度も繰り返されるのも頷けます。

 2.馬鹿は言葉を正直に受け取りすぎる。

先ほども述べましたが、自己啓発本の読者層は馬鹿です。彼らは言葉やメッセージを都合よく解釈して受け取ります。そんな馬鹿が「今を楽しく生きよう」という言葉を受け取るとどうなるでしょうか?

渋谷でたむろするヤンキー、今が楽しければ後がどうなってもいいと考える享楽的な若者、一時の快楽のために借金までする賭博狂などなど。後先考えずに「今が楽しければいい」と開き直る羽目になります。今日好きなことをすれば明日酷いことが起こる、でも「今が楽しければいい」。

しかし「今を楽しく生きる」とは刹那的な快楽に身を投じる生き方をしろ、という訳ではありません。

3.そもそも「今」とは?

 そもそも「今」とはいつでしょうか?誰もが一度は考えたことがあると思いますが、「今」は「今」の一秒前の「今」であって、本当の「今」ではありません。本当の「今」は時とともに流れつつあるものであり、人間の能力ではその一瞬を切り取ることは不可能です。ここで大事なのは、「今」とは時の流れとともに動くものである、という認識です。つまり「今を楽しく生きる」の「今」という言葉は刹那的、ということではなく未来永劫、例えば10年後に認識する「今」、20年後に認識する「今」を表しているのだということです。

4.真の幸福は右肩上がりの人生にある。

 更に言うと、「楽しさ」というのも絶対的なものではなく、相対的なものです。何に対して相対的なのかと言うと、自分の過去の経験です。他人の楽しさは理解できませんから。

これらを総合して考えると「今を楽しく生きる」という言葉の裏には、「常に流れる時とともに、どんな過去よりも最高に楽しい瞬間を刻む」という意味があるのだと言えます。右肩上がりの人生を生きよう、常に今よりも1秒後の今、今日よりも明日を楽しく生きよう、ということですね。

 

結論

Q.どうして額面通りに受け取ってはいけないのか?

A.未来も含めて楽しく生きよというメッセージが隠されているから。

 Q.どうして惑わされる人が多いのか?

A.読者層が馬鹿だから。

 

 

今回の記事がこのブログ初の投稿になります。僕は中卒ですし、社会の底辺なので、思想の拙さ、文章の幼稚さ、などが目立つと思いますが、投稿を重ねるごとに改善していく予定なのであまり気にはしていません。本ブログは僕のオ〇ニーブログとして長く気楽に続けていくつもりなので、よろしくお願いします。